マンションで諸問題が勃発する本質的な理由

マンションに関する諸問題は多い。そして複雑だ。騒音、ゴミ出し、無許可民泊、管理費の滞納、積立金(数千万円から億単位)の持ち逃げと、些細な問題から致命的な経済的損失を負わせるものまで多義に渡る。いきなりの結論だが、このような諸問題が起こる本質的な理由は「共同住宅だから」である。

 

「共同」と表記するだけあって、複数の他人がマンションと言われる構造物を共同で使っている。要は、人が集まっているからというコトに尽きる。人の集まるところには必ず問題がもたらされる。それは、一人ひとりの考え方が同一にはならないことによる。育ってきた環境や受けてきた教育等によって形成される認識が同じになるはずがない。そもそも複数の人間が同じ境遇にさらされても、各個人の受け止め方や感じ方が少しずつ異なるため、やはり同じにはなり得ない。脳細胞の状態やその質が個人ごとに異なるのは当然の話だ。

 

農耕民族は農地を耕し、それを管理することで発展してきた。これは、耕す農地に棲家が固定されることに繋がる。それは、作物をつくる為に通年にわたって土地を管理しなくてはならないからだ。そうなると、川付近などのある程度インフラが整ったところに人が集まることになる。

人が集まるとどうなるか。必然的に問題が起きることに発展して行く。同時に、組織化も進む為、身分階層のピラミッドも形成されるようになってくる。ここで必要となってくるのが、組織の秩序を守るためのルールである。現代人においては、法律というものがある。これを守らせることによって最大公約数的な平安がある程度は維持されるようになる。ルールを機能させる為には、ペナルティが必要だ。なぜなら、人は罰則によって規制しないとコントロールできない面を持った生き物だからだ。

 

マンションに住む人やこれから住もうと考えている人たちは、「諸問題は起こるものである」ということを大前提にしていかなくてはならない。日本人は性善説をベースに考える人が多く、他人の善意に期待・依存する傾向がある。これはこれで素晴らしいカルチャーではあるが、それでは都度発生する諸問題への対応は感情的になるばかりで平安を保つことができない。

韓非子の言葉を借りるならば、マンションの管理は人が欺かないことを期待するのではなく、欺くことができない体制を敷く方が結果的にうまくいくということだ。この方が、人の善意や親切に触れることができたときに幸せな気分になり、真の協力的な関係を築くことができるのではないだろうか。