マンション内の挨拶は不要!?

マンション内における住民同士の挨拶を禁止するルールに関するニュースがあった。報道によると「挨拶が返って来なくて不快な思いをした」「子供には知らない人に挨拶されたら逃げるように子供に言っている」というような理由が挙げられている。

物議を醸し出しているように報道がなされているようであるが、そのマンションを所有している人たちの民主主義的な手法によって規約が細則が決められたのであればそれで良いのではないだろうか。

「挨拶はするものだ」と言った主張は世間一般的に見れば正しいのかもしれない。一方で、児童が事件に巻き込まれるような出来事も今日の日本社会では発生しており、親御さんの気持ちも十分に理解できる。

 

新たなルールを設定する際にポイントとなるのは、それを設定することによって得られる利益と不利益の相関性にある。今回の場合は、「挨拶をしない」というルール設定がそのマンションの住民にとっては合理的な判断になっただけである。

 

規約の設定・変更・廃止は区分所有者の特別決議(3/4)でなされるため、これだけの多数で可決されているのであれば、尚のこと合理的な判断と見なされた上でのことであると言えよう。

恐らく、その集会の場には、管理会社から派遣されているフロントマン(管理業務主任者)が同席していたであろうことも予想できる。住民同士が挨拶しないことによって、悪意ある部外者が出入りしやすくなる点も十分にアドバイスされ、議論もなされた上での判断であろう。逆に挨拶を義務化することについての議論もなされたのであろう。

 

その上での最終結論であれば、それを外野の人間がとやかく言うのはやはり疑問が残る。仮にこれで不利益を被るようなことがあっても、その不利益を被るのはそのマンションの方々であって、我々ではない。その決議による不利益が多いとなった場合には、また規約等を変更すればいいだけである。

 

共同住宅は1棟の建物と敷地を複数の人間で共有するため、どうしてもマンション固有の風土やコミュニティが生まれものである。ルールを自由に設定できる以上は、その所有者が合理的と判断する形で規約を設定・変更・廃止しながら環境や時代の流れに沿った運用をしていくべきだ。マンションの寿命は60年と非常に長い。それは建物を共有している人たちと運命共同体となっている時間が長いという意味でもある。それ故、ルールは流動的かつ機動的に運用し、住人たちが快適に住めるようにすればいい。